−今月の巻頭言−

 
「田園」2013年3月号 巻頭言

  「神の民としての司祭職」
                         きむ どんひょん
                    アントニオ 金 東R 神父

 去年十月から今年にかけて私たちは信仰年を過ごしています。
 第二バチカン公会議を記念する信仰年は、公会議の刷新の精神を振り返って、教会を通して与えられた
神の恵みに感謝する恵みの時であるのは確かです。これからも刷新の精神が続けられるようこの恵みの
時、私たちは各個人の信仰生活を教会の教えに従って見直すべきではないかと思われます。
 ある教会では各個人の刷新を求め、勉強会をつくり、公会議の教えを学んだり、公会議の公文書を一緒
に読んだりしています。

 公会議以後、教会には大変大きな変化がありましたが、その中でも、罪を裁く教会から神の愛が溢れる
交わりの教会、聖職者中心の一方通行的教会から神の民の教会を目指す教会共同体になりました。
 私は、叙階されたばかりの新司祭として役務(職位的)司祭職の使命とともに信徒(共通)使徒職について
も考えなければならなくなりました。
 こういうわけで、今回は神の民としての司祭職について少し話そうと思います。

 「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、そ
れをお与えになるのは同じ主です。しかし一人一人に”霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためで
す。」(1コリント 12・5−7)

 キリストのすべての弟子は、洗礼によって再生、聖霊によって聖別され、神と人間との仲介者的司祭職を
執り行う神の民です。
 洗礼によってキリスト者となったすべての信徒は、イエス・キリストの三つの役務である司祭職(司祭職・
預言職・王職)を受け継ぎ、叙階による司祭(聖職者)とともにキリストの役務を果たすようになります。

 このように、すべての信徒に与えられた司祭職を共通司祭職、あるいは信徒司祭職、基盤的司祭職
(sacerdotium fundamentele)と言っています。
 この司祭職は洗礼を通して授けられ、メシア的民の一人となり、キリストの神秘体の肢体としてキリストの
司祭職に参加することになります。
 それで「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民」(1ペトロ2・9)と呼ばれま
す。

 信徒には固有の召命があり、その召命は、現世的な働きに従事しながら神の國を追求することです。
 すなわち、信徒の固有の召命は世間のそれぞれのあらゆる務めと仕事に携わり、家庭と社会の一般的
条件の中で生活するのであり、そこに神から招かれています。
 各自の務めを果たしながら、福音の精神・信仰・希望・愛をもって、特に自分の生活を通して、キリストを
あかしするよう呼ばれています。
 「信徒の共通(信徒)司祭職と職位的(役務)司祭職とは、機能的部分を含め、本質において異なるもので
すが、相互に秩序づけられていて、それぞれ独自の方法で、キリストの唯一の司祭職に参与」します。(教
会憲章10)

 叙階の秘跡の効力によって役務司祭になったと言っても、司祭が信徒より高位キリスト者となることでは
ありません。
 両方とも同一な品位に一致されているからです。もちろん、職位的(役務)司祭職は共通(信徒)司祭職と
は違って、キリストの神秘体である信徒を受容するための存在的、可見的、牧者的司祭職です。
 なぜならば、役務(職位的)司祭の役割である神の仲介者としての使命そのものが人々に霊的いのちを
生み出すようにする教会の使命に参加しているからです。

 職位的(役務)司祭職は共通(信徒)司祭職の上にたてられています。それで共通(信徒)司祭職を基盤的
司祭職(sacerdotium fundamentele)と言っているのです。
 司祭と信徒、それぞれの司祭職の遂行方法は違っても、同じ召命にあずかっています。
 このような理由で、神の民のため民の中に存在するキリストの司祭職は一人の個人でなく共同体に与え
られる恵みであると言えます。

 今回、叙階の秘跡によって私に与えられた司祭職の恵みも今まで私が属している田園調布信仰共同体
を通して与えられた恵みであるので、私をキリストの司祭になるよう大切に育ててくださった田園調布共同
体の方々に心から感謝を申し上げます。

 恵みの時と呼ばれるこの四旬節に各自の生活を振り返って、相応しい心で喜びのうちに復活祭を迎える
よう準備しましょう。


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