「田園」2008年8月号 巻頭言
「夏休み」
フランシスコ会司祭
阿部 慶太 神父
現在、学校は夏休み中で、子供達は学校を離れて、サマーキャンプや学校や地域の課外
活動などで、夏休みにしかできない体験をしているのではないかと思います。
子供たちばかりでなく、大人もお盆の休暇を利用しての帰省や、休暇を使って普段できない
ことに挑戦するなど、貴重な体験をする可能性がある期間でもあります。
13年前の夏、阪神・淡路大震災の被災地のボランティアをする機会がありました。当時、
尼崎から神戸方面にかけて震災の足迹が生々しく残っていました。
被災地のボランティアを常時募集していた時期で、夏の休暇を利用して、青年グループや、
小学生のグループなどに混じって何度か現地に足を運んだことがあります。
その中で「隣人を大切にするとは何か」ということを実感しました。
隣人愛については、ルカ福音書10章25節以下の「善きサマリア人のたとえばなし」が有名
です。隣人を大切にするとはどういうことか、というたとえばなしです。隣人愛については頭で
は分かっていても、実践は難しいものがあります。
しかし、被災地ではそれぞれの全く違う立場の人々が震災復興のために、共に汗を流す
姿、仮設住宅の人々が励ましあいながらコミュニティーを作る姿、滞日外国人が被災者のた
めに行う炊き出しと交流、こうした光景を見るにつれて、「隣人を大切にする人がたくさんい
る」という印象を受けました。
日本において災害時のボランティアは、阪神・淡路大震災以降増加したといわれています
が、人はあまりに悲惨な状況や人々の苦しみに対し「はらわたが動き(スプラングクニゾマ
イ)」その結果、その場に近づき苦しみに触れ、何らかの働きへと動かされるのではないかと
いうことも、そのときに感じたことです。
阪神・淡路大震災のあった1995年の夏の体験が今も印象に残っているのは、鷹取教会
跡地に建てられた鷹取救援基地に国籍、宗教を超えて集まったボランティアと共に汗を流し
たことを通じて、「隣人を大切にする」という普段はできない体験をしたからだと思います。
さて、この夏休み中、普段できない体験を通じて、教会学校の子供たちや青年たちが、忘
れられない思い出や学校では教えてくれないことを学んで、元気な顔で次の学期に集まること
を願っています。
|