以下の原稿は03年7月2日午前9時より90分場所:東京都世田谷区の日大国際会議場で諫早が行いました基礎物理理特別講義のプレゼンテーション台本として作成いたしました。文節・行替え等文書の校正を全くおこなっておりません。  読みにくく恐縮です。
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以下「ゆらぎの科学」著者:武者利光氏より頂戴のメール

諫早さま
いさはや(いやはや?)大変な薀蓄で恐れ入りました。音楽家がゆらぎのはなしをす
ると、どこかに間違いがあるのですが、貴兄の場合にはそれがありませんね。実は
「物理をやりたかったが、まぐれで音楽家になった」人みたいです。私も聞きたかった。

武者利光
追伸:周波数成分が100kHzまで伸びている音楽の再生音は、CD型のちょん切り音
楽に比べて、聴く人のストレスを低下し、喜びをます、という客観的な結果がでまし
た。音楽の一部は脳が聴いているという証拠です。脳機能研究所のHPをご覧くださ
い。www.bfl.co.jp/

講演内容文書。演題「音楽からのぞき見る心地よさとゆらぎ」

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まず本日の内容です。
(心地よさ)と(ゆらぎ)について見てゆきます。
(音楽からのぞき見る)わけですから、音という物理現象と人がどう付き合ってきたか、その辺りから始めたいと思います。
後半では「アナログからデジタルへの移行」です。
昨今の目覚ましい技術進歩ですが、人と音との付き合いで大切な要素(心地よさ)と、
それを産みだす(ゆらぎ)はどうなっているのか。それにも触れたいとおもいます。







古代より音という物理現象と人のつきあいは、
娯楽にしろ宗教上にしろ(音)少し進んで音楽と共にありました。
物理現象として音を科学する音響学も、音楽との深いかかわりからうまれてきました。2つの異なった振動数を持つ音を同時に鳴らすと、心地よく協和する関係と、居心地悪い関係があることを、人々は経験上知っていました。
2つの音の距離が自然数に近い程、人は心地よさを覚えるのですが。たとえば秒単位440振動と880振動「ラ(a)・ラ(a')」です。すなわち音楽で言うオクターブです。
このように人間は直感的にオクターブ8度、や5度を知っていたようですが、オクターブ(8度)は振動数比2:1で(5度)は3:2だと、「数学的に理解していたか?」これはちょっと疑問です。 度で音間(距離)を示す方法は後で説明 
歴史的に見ますと、物理現象としての音を考える音響学、振動数による音律の論議は、古代ギリシャで始まり、ピタゴラス学派によって展開を見たと言えましょう。
     これは比率・対比の論議です。
さて先へ進む前に、ちょっとこれを見て下さい
  *(鍵盤の図版) 23.jpg
言われてみれば「なんでだろう?」の、みじかな疑問ですが。
楽譜上では半音を示す(♯)と(♭)が記されているのに、ピアノ鍵盤を見ますと(♯)と(♭)は同じ黒い鍵を使います。
すなわち、ドの半音高いド♯は、黒鍵を挟んでレの半音低いレ♭と、同じ黒鍵です。
「同じなら、どちらかに統一するか、新しい記号を導入すればいい」と思いませんか? たとえば(↑↓)にするとか。ところが、譜面上いまだに(♯)と(♭)なのです。
ではなぜ(♯)と(♭)は同じ黒鍵か? そもそも音階は誰が作り決めたのか、このあたりからみていきましょう。
*音程値と音程比の表図版表示 
   44.jpg
   46.jpg
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先に 2つの音の高さの隔たりを表す音程に少々ふれておきます。
==音程の表現には大別して2つ有ります。
A)音響学で振動数を比較する(音程比)と、
さらに音程比で導き出された「対数」の数値をもとに(音程値)を決める方法。
これは精密さをえられます。
=今一つは。
B)(西欧の7音全音階を例にして)音組織の音の段階の数を数える一般的な方法。
古い時代から使われているこの方法は、音響学的に大ざっぱですが、一般に音楽の音関係を説明するのに比較的わかりやすいという利点が有ります。この段階的な一般法では音程の認識単位を(度)で表します。   
それでは古代における音程の確定法を紀元前の中国でみてみます。
史書によりますと三皇五帝の時代ですから神話時代です。
基本となる筒を切り出します。
史書によると三寸二分とありますが、尺貫法の基準が時代によって変わりましたので、これはあてになりません。支配階層がかってに決めただけです。そして、音律の確定法の説明に必要有りません。
  *(図版三分損益法の表示)51.jpg  
一、ある長さの管を用意して基準とします(宮)
二、三等分し三分の一切り詰めます(微↓ち=純正5度高い)2/3
三、(微)を三等分し三分の一を(微)に足す(微から純正4度低い、商)4/3
これを繰り返すと世界に広く分布する5音音階(ペンタトニック)が導かれます。
この純正5度を巡る輪廻を繰り返すと宮、微、商、羽、角、律、呂……と続き最終的には十二の音が導きだされます。
こうして出来上がった音階を目で見るには、パイプオルガンやマリンバを見るとよいでしょう。図版を見て下さい。
      56.jpg  57.jpg
パイプオルガンのパイプを見て下さい。長さが直線的に減衰しておらず、弧線をえがいております。マリンバの管も同様です。
この長さの減衰を横軸状に並べますと……ギターの指板(次の図版)フレットの刻みになります。
   59.jpg

この刻み、どこかで見たことはありませんか?
おなじみの対数です。ログです。対数方眼ですね。
    *(お話し中のアニメを挿入)
=続いてピタゴラスです。
中国では管でしたがピタゴラス氏はモノコルドと呼ぶ1弦琴を使い試しました。音階の確定法は中国と基本的に同じです。
ピタゴラスの実験結果ですが。確定した8度(オクターブ)を十二回重ねてから7オクターブ下げてくると、最初出発した音(振動数)に戻らずにずれ生じる事を発見しました。      
これをピタゴラスのコンマと言い数学的には図の通りだそうです。
 *(図版ピタゴラスのコンマ入る) 52.jpg
 *セント(cent)=音程の表示法。全音200cent半音100centオクターブは1200cent
  *(ここでモノコールドによる実演が出来るとよい。またはギター)

*ただしオクターブを千二百等分するセントと言う単位は近世になってからです。
ピタゴラスのコンマの音程差は(人に感じ取れるほど)のずれなのです。
その「ピタゴラスのコンマ」をちょっと聴いてみましょう。
   *(音・262hz.wav/265nz.wav及び6db24cent.wav)振動比。
そして自然な音で協和する響きを求めて行くと。
(♯)は次の音との真ん中2/1ではなく、やや低く、
(♭)は次の音との真ん中2/1よりやや高いのです。
もちろん(♯♭)の呼び名は後世のものです、全てに個別の名では煩雑に過ぎますので、少々無謀ですが(♯♭)ですすめます。
心地よい音関係をさぐって行った結果あちら此方にずれがでました。
これは音楽を大系づけ説明する時に真に厄介なのです。
ピタゴラスの音階も西洋の純正律も「ある振動数の音を出発点に3/2比で5度を積み重ね、確定した各音をオクターブ内に集めて音階としたもの」ですから、別の振動数の音を出発点に構築した音階(音律)に移行する。すなわち「転調」すると、転調前の音階(調)に無かった音を用意しなければならないのです。
 *(図版表示=純正律転調、jpeg)  34.jpg
図は半音程、今で言う#が2/1より少し低い前提での転調を模式図にしたものです。それぞれの調内の音間隔は変わりませんが、他の調とはどんどんずれてゆきます。
ピタゴラスの後、アラビヤのアレクサンドレイマでカルケンテロス・ディデュモスが、この問題に取り組みました。前63年?〜後10年?の人です。
彼は長3度 (ド・ミ、フ・ラ、ソ・シ間に半音が挟まらない) の関係を、4:5の比率にして五度を十二回重ねてシ♯(嬰ロ)を得ようとしたら、やはり余剰分が出来てしまいました。
    *(長3度図版鍵盤はいる)66.jpg
これをアラビアのコンマと呼びます。またもや「コンマ」です。
   *(お話し中のアニメを挿入)
その他にもクライスマ、スキスマ等と名付けた微細な音程も生じました。その微細な音程を無視しても、約53もの異なった調律が生じました。
すなわち、近現代のピアノで説明しますと、調が変わる度に、その調に調律されたピアノに走って行かなければ成らないのです。
もちろんピタゴラス氏やディデュモス氏の時代にピアノは有りませんでした。
どうも人が聴覚で自然に感じ取っている音相互の関係は、大変に繊細微妙で、それをそのまま数値化し論議しようとすると、ややこしくなるばかりの様です。
ディデュモスの方法ではなんと約53もの異なった調律です。53台のピアノです。
「そんなに面倒なこと、対応できないや」
いいえ。音楽家はちゃんと対応し使い分けてきたのです。差異を弾き分けてきたのです。それは今に至りこれからも変わりません。
   *(図版ギターとリュートのタスト。ギター諫早・リュートは左近径介氏)
    67.jpg  7.jpg 
御覧の映像ですが。
まず「平均率」に対応したのギター指板(タスト)です。フレットが埋め込まれ固定されています。(少し詳しく説明)
次は「純正律」に対応するため、可動フレットをもつリュートです。
  =図版の説明及びリュートのフレット形状の説明=
バイオリン族では(♯)と(♭)や調による音程のずれに、フレットを廃止することにより対応性を高めました。
管楽器はくちびるで、息の吹き込み角度で古来より対応していました。
やがて欧州で産業革命に伴う合理主義が「平均率」をうみだします。
「平均率」がピアノを産み進化させました。
     *(図版音程値再度表示)42.jpg
♯と♭の微細なずれを無視した「平均率」のお陰で、♯と♭は同じ音になり、調が変わってもみな同じ音の組み合わせで済みます。調律は1種類で済みますから、ピアノも一台で済みます。平均率」のお陰で、ピアニストは異なった調律のピアノのからピアノに走り回らなくてすむのです。
「だが、待てよ」です。
確かに「平均率」で数学的にはすっきりしました。
でも、人が 聴覚で自然に感じ取っている物理現象、音相互の関係は、紀元前の中国、ピタゴラスやディデュモスの時代から変わらないのです。
今の時代も、バイオリンの優れた演奏家はオクターブの間におよそ24の音を持っていて(♯)と(♭)や調による差違を弾き分けると聞きます。
耳が良いほど、そうしないと「ここち」悪いからです。
ピアノが入るときは、他の楽器がピアノに合わせているのです。
そうしないと「ここち」悪いからです。
ピアノとそれ以外の楽器との違いですが、
ピアノはデジタル的な楽器ということでしょう。
    *(グランドハープの図版の表示)
 15.jpg   22.jpg
機会がありましたら、ハープを観察なさって下さい。
コンサート用の大型ハープが良いでしょう。
足で操作するペダルがついております。
正式なグランドハープは7つものペダルを持ちます。
おのおの三段に切り替えが出来るように成っています。
弦を留めてある部分に回転する駒があり、これをペダルで操作し、弦の張力を変えるのです。
(♯)と(♭)を弾き分ける為です。
これは、ピアノが数学的に切り捨てた部分です。
   *(お話し中のアニメを挿入)
ここで一つ「デジタルって、そも何者」です。
言葉で表せば、デジタルは数値化する事です。
数値化することで、出発点から終点まで、情報を正確に伝えられます。
そして、何回繰り返しても、間違いなく再現できます。
人為的、ハード的バグが紛れ込まないかぎり。ですが……。
今はテレビの主題曲、アニメの主題とバックグラウンド効果音。カラオケのオーケストラ伴奏まで、デジタル音源を使っての音響が主流です。
最近ではメモリーも極めて安価になり膨大な情報を扱えますので制作側からすれば、生身の演奏家を使用する人件費を節約出来ます。デジタル音源様々です。
ま。デジタルは演奏家を失業させようとしたのです。

生活のかかっている演奏家は、ここで凹んでおられません。
敵の分析をいたします。

デジタルは数値化しないといけませんから、連続した変化。又は進行している変化を切り刻み記録します。
切り刻んで記録しましたから点に成ります。無限に切り刻んでも点の列です。点と点の間を切り捨てているのです。これは途切れの無い連続現象になりえません。
身近なCDにふれますと(DVDでも同じです)一枚あたり無限大の記録メディアではありません。作成現場では機器の進歩は目覚ましいとはいえ、
扱える情報量に限界があります。そこで自然素材楽器での演奏では物理現象として伴うが、人が意識して感じ取っていない部分の切り捨てを行うわけです。
知り合いの技術者さんのお話ですと、人の耳の「細かい欠損や途切れを補って聴こうとする能力」を見越して、情報に含まれる複合周波数の一部も切り捨てるそうです。
かくして、自然には有りえない演奏の出来上がりです。
それでは
音という物理現象を(音楽とゆらぎ)そして生身の人間との関係から見てみます。
定規で測った(音楽ではメトロノーム)で、機械的に正確無比な演奏は面白くなく、長時間さらされると退屈を通り越し不快にさえ成ります。
演奏家の視点から申しますと。
演奏は均一と一定から限界を超えると無秩序に成ってしまう領域にゆらぎます。
そのゆらぎの振幅とサイクルは演奏家の個体差に由縁します。
作曲も同様で「均一と一定」から「無秩序方向」へ、また「無秩序方向」から「均一と一定方向」へとゆらぎます。
一つの見方を述べれば。
均一は無変化ですから「何もない」と同等です。
逆に「無秩序(ランダム)」も「何もない」と同等です。
その狭間で「ゆらぐ」と出来事になります。
適度の「ゆらぎ」が心地よければ身をゆだね、不快だと逃げ出したくなります。
有る程度の不快の後、心地よ良さを提供されると、心地よさが増幅されて感じもします。
 =「心地のよい」と「心地の悪い」=
振動情報として音と認知した後、人の脳がどの様に情報を処理しているか、そして「心地のよい」「心地の悪い」のような分類をどうやってするかは、まだよく解っていない様です。
厄介なのは「心地のよい」「心地の悪い」の許容レベルが、かく個体の記憶、置かれた状況にも左右される事です。
例をあげれば、軍用ジェット等航空機の騒音です。航空機フアンは「やれ、あのジェット音はFなんとやらだ」とかもてはやしますが、不快音と感じる人は神経や心に変調をおこし、医学的病変まで起こすそうです。
私の仕事である音楽では、デスメタロック等の攻撃的ジャンルがあります。
これも前例の様に、大好き人間と目まいを起こす人と居ります。
どちらにせよ、好き嫌いにかかわらず大音響に恒常的にさらさされて居ると、精神や肉体の健康に極めて悪い影響があるそうです。予測しない大音響は痛みとして感じるとのデーターも有ります。人の精神や肉体にまで影響を与えることは留意すべきです。
      ****後半*****
それでは「心地のよい」を探して見ましょう。
=「1/fのゆらぎ」にふれます=*「 f 」は振動数です。
全ての波形は複数のサイン曲線に分解することができます。
それには「フーリエ級数」を使いますが、学業をさぼりまくった私には荷が重すぎまして、里子允敏みつとし教授が作って下さいましたのでご紹介致します。
  *(フーリエ級数グラフと数値入る)
 61.jpg 64.jpg
従って表示致しましたフーリエ級数のご質問は里子允敏教授の方へ。
波形を分解し周波数成分を対数軸にプロットしますとき、傾きが-1で近似出来る波形を1/fのゆらぎと呼びます。ちなみに傾きが0になるとホワイトノイズになります。
……なのだそうです。
木々の葉擦れ風のささやき、川のせせらぎ、母体内音等々。時代の変化に淘汰されずに愛されてきた曲などのスペクトルが「1/fのゆらぎ」を示します。
「1/f」の傾斜から外れたスペクトルが多いと居心地悪く成るようです。
  *?「1/fのゆらぎ」から外れる部分の多い曲。
  *?(アンブロシウス聖歌等良いかも*ややたいくつ)
以前「1/fのゆらぎ」を研究なさっておいでの武者利光という方とNHKで仕事を一緒させていただく機会がありました。それが私と「1/f」の出会いです。
ゆらいでいる一見不安定な要素。見方によっては数値上の「ある種雑音」でもあります。
自然に存在する現象で宇宙線の揺らぎから始まり、先に触れました微風に揺れる木々の葉擦れの音、母体内音等々、また高速道路を走行する車の群れ出現と群相互の間隔など。これらに「1/f」ゆらぎが広く見いだせると聞きました。
音楽家の演奏も然りだったそうで。「音楽も然り」ということで私に声がかかりました。
さてNHKで何を体験したかです。
可聴域の周波数から音楽で使用されるhz内で数値をランダム出力させる様計算機をプログラムします。
これはお世辞にも音楽として聞こえてきません。
次に「1/fのゆらぎ」の数値データを制約としてあたえます。
 43.jpg  *(1/fのゆらぎ」五線譜表示=武者利光著「ゆらぎの科学」より)<
既存楽曲のパワースペクトルを模倣させる事もしましたが、ここで取り上げるのは、「1/fのゆらぎ」のみのデータです。
図は中央ドからオクターブ262hz〜523hzの制約内で、出力させた例です。
   *(音B、サンプル1/f_piecs.mid再生)
じつは、ここまでの時点では、興味はあるが内心、クラシック音楽演奏家として、なにか場違いに感じていました。
頭上を飛び交う技術者さん科学者さん方の言語も、私にとって異星人言語(失礼)に等しかったからです。
そのような状況の中、後者「1/fのゆらぎ」の方を聴き、「いつか、どこかで聴いたような古めかしい旋律」そう感じたのです。
皆さんにも分かりやすいように、先程聴いた(音B)「1/fのゆらぎ」に少し手を加えたのがこれです。
   *(音C、サンプル1/f_chant.mid再生)
(同じ旋律を五度の距離で重ねました)音楽家から見て「すごい」とは言えぬ旋律です。古い音楽でにしろ「ごく、ふつう」な旋律です。
ですが「1/f」が加わった時点で「ごく、ふつう」が計算機から出力されたのです。
=「1/fのゆらぎ」ですが=
この「1/fのゆらぎ」が生命維持活動に深くかかわっている様で、武者利光氏が、「(人体における1/f)を神秘的にとらえがちだが、細胞レベルで「細胞膜」の膜抵抗のゆらぎが「1/f」で、流れ込むイオン電流が「1/fのゆらぎ」を示していたら、生命維持現象での「1/fゆらぎ」は物理現象に帰着するでしょう」とのべられております。
右がニューロン細胞(神経細胞)が発するパルスの電位変化で、左はJ.S.Bachのブランデンブルグ協奏曲演奏時のパワースペクトルです。ポイントの分布が何やらにていませんか。
  *(1/fの対数グラフ図版二枚を表示=武者利光著「ゆらぎの科学」より)
 32.jpg 24.jpg
さて、これが「我々にとって何を意味するか」は、今後の研究者にゆだねられるのだと思いますが、私なりの考えをのべますと。
ご紹介の通り神経細胞ニューロンの発するパルスは1/fです。これから大きく外れた刺激情報を恒常的に与えられたら、生体の隅々に張り巡らされた神経系はいらだち、何らかの変調をきたすこは充分に考えられます。
ここでJ.S.Bachのブランデンブルグ協奏曲の一部を聴いてみましょう。
  *(音/CD ブランデンブルグ協奏曲モーグの演奏)
CDをお聞きになって「弦楽の演奏でない」と、おわかりでしょう。
「モーグ3世」と呼ばれた世界初の音楽演奏用シンセサイザによる演奏です。
なぜモーグシンセサイザを引っ張り出したかと言うと、音楽分野でデジタル音響が抱える問題に少し触れたいと思ったからです。
  *図版表示(モーグの写真)*(RCA研究所の)
図版は、左が真空管時代に作られたRCA研究所のアナログシンセサイザ。
右が64年頃トランジスタ時代のモーグシンセサイザです。
  *著作権に触れる恐れが有りますので図版は割愛
これらに比べ最近の機器は技術者開発者の努力で、各電子部品の素材から不純物が駆逐され、数値的にも信頼がおけ、製品のバラつきも極めて微小になりました。
ところが、どうも潤いに欠け、個性を失ってしまったのです。
かつての電気部品、たとえばカーボンを使用した抵抗器です、カーボンその物の性質か、不純物のせいか抵抗値が「1/fのゆらぎ」をしめすそうです。 
「モーグ」時代のシンセサイザは、このような「1/fのゆらぎ」を持つ電気部品が使われました。アナログ楽器の様に一台一台が個性さえ有しておりました。
モーグシンセサイザの様な潤いのある音は、新しい今のシンセサイザは発生出来ないのです。「ふっ」と「ゆらぐ」事が出来ないのです。
また、ソフトレベルでアルゴリズムとかでコントロールされるため、外からのソースはアクセス出来なくなってしまったのです。

つい最近ちょっと面白いことを聴きました。
ハーレーダビットソンと呼ばれる自動二輪をご存知でしょうか。
最近の新し機種はエンジンの点火をブラックボックス内のマイクロコンピューターで、正確に制御するため、極めてスムーズなエンジンの回転を得られたのです、が。さて、これが「つまらん・居心地が悪い・乗った気がしない」という方々が多数おられて、わざわざ点火のタイミングを狂わす機器が販売されているそうです。
昨今の若いミュージシャンが「ヤッパ、音がいいじゃん」とかでビンテージものの不安定な電気楽器を欲しがるのも、この辺に有るのでしょう。
 =はなしを戻す。
二つほどデジタル楽器の問題点を示唆したいのですが、ちょっと寄り道で「ゆらいでいた」時代の電子楽器を紹介したいと思います。
少々収録が劣悪なのですが、まずこれを聞いて下さい。
  *(音=テルミン演奏録音再生)
きもちわるいでしょ。
1919年に製品化されたテルミンと呼ばれる電子楽器の音です。
まさに80年前の亡霊です。
  *(図版表示=テルミン 複数枚)
  *著作権に触れる恐れが有りますので図版は割愛 
今でも製造販売されており新品が手に入ります。試してみましたが、ゆらぎ過ぎて、コントロールしにくい楽器です。
欲しい方はインターネットで申し込んで下さい。「テルミン」で検索すればすぐにアクセスできます。ただし、夜中に演奏しないことです。特に夏の夜は。
この「テルミン」の音そのものに「1/f」成分があり、上手な演奏は「癒し効果がある」との研究結果もあるそうです。

=さて、デジタル楽器の問題点ですが=
技術者開発者が駆逐した不安定要因のほかに、ゆらぎの部分要素に「倍音の」問題があります。これが大変重要な音の要素なのです。
ギリシャのピタゴラスやアラビアのディデュモスもコンマをさぐるのに利用した倍音です。ギターは倍音を発生させるのに、比較的容易な楽器です。
   *(ギターによるハーモニックス実演)
じつは、一本の弦を撥音して鳴った音には、今ちょっと聴いていただいた倍音と、その他全ての倍音が含まれているのです。
それだけではなく、弦に指の触れた音、演奏者の鼻息もです。
管楽器では奏者の息、呼吸です。
同じ倍音の配合は二度とできません。
  *(お話し中のアニメを挿入)
今一つ、自然界には純粋正弦波は存在しません。
自然界の模倣からいまだ逸脱出来ないデジタルは、 自然界の摸倣を進めるにあたって、 正弦波に混ぜ物をしなければならなかったのです。
完ぺきな模倣など、コストの面で不可能です。 実際に、どの様な事態が起きつつあるかと言いますと。 ドラマ、映画の作成現場。ビデオ作品もですが。 さっこんは「だめだ。ここは矢張り生演奏でしょう」 となることが多くなったそうです。
ここしばらくコスト面でデジタル音源がもてはやされて来ましたが、 肝心な場面に「デジタル音ではしっくり来ない」のだそうです。 どうも落ち着かず「ここち」が悪い様なのです。 デジタル化で切り捨てたツケの部分がこれです。

ここで考えるのは、シンセサイザ(オシレター)本来の可能性を見間違えて来たのではないか、と言う事です。
本来は独立した独自の音を持つ楽器であったのを「自然楽器の代用」として、 または「手軽な模倣楽器」にしてしまったのです。

もう一つデジタル楽器の落とし穴になりそうな部分です。
さきほど、 (正弦波に混ぜ物をしなければならない)< (自然界の模倣からいまだ逸脱出来ないデジタル)と申しましたが、< 解決策として開発されたのが、サンプリング音源です。
サンプリングですから、アナログのデジタル記録です。 デジタルメモリに記録して、鍵盤等でコントロールする。
これですと、自然界の生音のデーターですから、 それで良いと思われがちですが、 開発当初の熱が過ぎて、冷静になってくると。 色々な問題に気付く事に成ります。
  *(最後のアニメに切替え表示)
自然楽器の場合、アタックの部分がもっとも複雑で、その部分に各楽器固有の特徴が凝縮されております。またアタックのミリセカンドの出来事は二度の再現は不可能です。
サンプラー音源で自然楽器の模倣をするデジタル楽器は、倍音を含め見事に自然楽器の模倣再現しているようですが、じつは鍵盤をたたくたびに出てくるのは記録したアタック、いつも同じデーターの再生に過ぎないのです。いつもではなく、それしか出来ないのです。
音の持続する部分(余韻ですね)も「ルーピング」と呼ばれる技法で、記録された一つの波形を繰り返しているに、過ぎないのです。
したがって本質は均一で無変化といえます。人はどこかでそれを感じ取り徐々に飽きて来た様です。
ただし、それはアナログの音を知っていて、どうしても「比較してしまう」からかもしれません。それでは、デジタルしか知らない世代が現れるとしたらどうなのか?
それはこれからの追跡調査待ちでしょう。
                    いさはや
                      2003年7月東京世田谷にて

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